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『自己啓発系』物語というものについて

 なんでSNSで寸感のクダを巻くだけでなくブログみたいな個人スペースもってるかっていうと、言論を自分の名前でキャッシュしたいという自己顕示欲の産物であるって人、結構居ると思うんですよね。
 ご多分に漏れず、自分もそんな前置きのような人間でして。まぁ常に紹介記事で人の褌でとるコピ丸©相撲なわけですが。
 今回の記事は、たまには自分の思ってる事書こうと思いまして。
 はてな界隈からのネタ出しはそれこそ3年近くぶり。もうちょい趣味領域以外にも目を向けような。


ツイッターでちょろっと呟いたこの辺について、思考整理も兼ねてまとめてきたいと思います。
別にちゃんとした体系化とかしてないので、論理展開には突っ込まないでくださいね?
むしろ概念だけ投げて、誰かに検証してもらいたいというか(僕らはいつも増田まかせ) 

 
触発された経緯はこの辺から。

【告知】文フリ21で発表する文章「日常系とはなにか」のイントロダクション

セカイ系:(引用元
 過剰な自意識を持った主人公が、(それ故)自意識の範疇だけが世界(セカイ)であると認識・行動するという作品
日常系:(上記サイト引用)
 生活のこまごまとした部分にクロースアップし、物理的あるいは精神的な劇的対立を避けた、アンチクライマックス的な作品群

今回の本筋ではないので、前提条件としてこれぐらいの認識でいいです。あくまで定義例なので。
この方の頒布されているものも機会があればちゃんと読んでみたいものです。


○自己啓発系 とは

で、今回話題にするものを同様に定義するならこんな形かなと。

自己啓発系:
 キャラクターへの自己投影を強め、達成感そのものより精神的転換にカタルシスを置く作品


アドリブなのでもっとうまい言い方がありそうですが、どうも最近こういった形態の作品が目立ちつつあるように思うのです。

例えば修行パートの論法。仮に従来を  課題の提示 → 改善のための努力 → 達成、成果発露 とします。
大リーグボール養成ギプスとかどうとでも挙げられますが、ジャンプから例を挙げるなら

NARUTOの「風遁・螺旋手裏剣」会得のための修行シーン
 技を会得したい(課題) → 影分身を用いた高密度の訓練(努力) → 技の完成(達成)、実用化(発露)

火ノ丸相撲
 新たな技を開発したい(課題) → 相撲部屋に体験入門し経験を積む(努力) → 糸口をつかむ、実戦で完成(発露)

といった形で、地味と言われる修行パートを如何に才覚で達成するか、またはいかに努力過程を壮絶に表現するかを見せ場としていたように思います。
この才覚(努力の才能含む)がキャラクター性であり、能力的に向上しつつ元あるキャラはブレさせずに立たせる手法です。
才覚ごとツールで外付けするのが、進研ゼミ漫画とでもいいましょうか。

で、自己啓発系の場合はこのような展開になります。例は上記ツイートで挙げたものから。

soulcather[s]
 圧倒的な同級生に肩を並べられない(苦悩) → 部長に選ばれている事実(転換) → 並べる自信を許容(覚醒)
 報われない努力への諦観(停滞) → ただ楽しかった頃の音を聞く(転換) → 未来への展望が開ける(再生)
 性分から来る居心地の悪さ(閉塞) → 仲間からの承認(転換) → 性分を特性として活かす(解放)
     (あれ?こういう風にまとめると「思い...出した!」と大差ない?)

僕のヒーローアカデミア
 貰い物を使いこなせない → 特別視のしすぎ → 自身の能力として確立
 遺伝由来の能力への嫌悪 → わだかまりとの折り合い → 自己承認
 理想の自分とのギャップ → 尊敬対象からの承認 → 自信回復

市場クロガネは稼ぎたい
 責任感で留まり続ける → 原点への立ち返り → わだかまりの解消
 技能行使へのトラウマ → 使い道の提示 → 自己否定の解消
 社会構造への不信感 → 新たな被害の抑止 → 使命感の発露

まとめると、「課題の解決法が努力から発想の転換に重きを置く形となっている」点が大きな違いだと思っております。
 つまり、「君は既に能力を持っている」「充分努力している」と認めた上で、不足の補強ではなく精神性へのはたらきかけで、結果が変わることを提示しているのです。
 新しい世界はずっと手の中にある。過去にすがるたび輝きを失う。
 「変わりたいと、強く望め。それ以外はいらない/The rootless」よりサビの一説。
  優しい歌揃いのソルキャサブタイトルの中でも、ひと際厳しいスタンスのこの楽曲。
  初接触の伊調、ひいては立ち向かう神峰への歌になりますが、本質はここに近いかなと。

セカイ系が自意識が世界に影響を及ぼすシチュエーションを用意し、強いられた選択の「葛藤」が主題とするなら、自己啓発系は「やり方」に重きを置いている。
日常系が終わらないことを是とするなら、自己啓発系はゴールへの道を模索している。
元々の少年漫画的論法は、上へ上へといわゆる脳筋な手法でした。
 そういう意味では、別の切り口で「向上心」が中心に立ち戻ったといえるかもしれません。


○構造的な特性

上に挙げたもののうち、ソルキャと市クロは「主人公が相手の特性を把握できる」という能力者である点で共通します。
カウンセリング漫画と表現されることもあるように、主人公は転換点の「提示者」として役目を持っています。
主軸となるキャラクターごとにエピソードが組まれ、ある種短編連作の様相も呈しています。
主人公の動きは一貫させつつ、視座にバリエーションを持たせる飽きさせない工夫としても意外と上手い事できていますね。

このような「主人公が能力行使によって応える」という形式は、ある種職業モノの作品に通じるものがあります。
そういった元々青年・ビジネス誌向けのシステムを踏襲していることもあり、対象年齢が高めになりがちともいえます。
そもそも共感を呼ぶ=経験がある人向けの面もあるため、既に過ぎた年代の評価の方が上がりやすいのかも。
逆にだからこそ、直面真っ只中の現役世代に是非とも触れて欲しいわけですが。後悔の無い人生を。

また、立ち向かう・生き抜くべき「世界」は一人の自意識程度で動かない強固なものであることが求められるので、世界観設定は入念に行われやすいです。
ヒロアカなどはそれが顕著で、「人類全個性化」を一発ネタでとどめず、それに伴う社会現象や個性婚といったそこに暮らす人々の発想も丹念に練りこまれています。


○なぜ今、評価されるのか

例に挙げたジャンルの区別を「流行」と捉えるなら、「世代感」とそう簡単に切り離せるものではなく、分類だけでは語れません。
ブーム自体はエヴァだとかけいおんだとか、大ブーム作品の性質を煎じた結果ジャンルとして確立していったという側面はあります。
ではそれが何故受け入れられブームになったかを見ると、時代の世相も表れているのだと思います。

セカイ系全盛期である2000年前後、いわゆるゼロ年代の中の一側面といえます。
 2003年に「世界に一つだけの花」が一大ブームを産むことになるように、「個性の尊重」といったものが偏重と言える程に重視された時代です。
 それらが成立した経緯となる前時代が「詰め込み教育」だとかで脳筋的・没個性的に大量生産されていた時代と解釈すると、個性、すなわち自意識を極端なまでに強調することで惹きつけられるものがあったのかもしれません。
 疲れてたんですよ、自分の意思でないものを求められ続けることに。


それからおよそ10年。それぞれが自意識と向き合うようになると、逆に明確な主人公を主軸としない、グループや場を象徴的に置く日常系が台頭し始めます。
 この流行の移行に関して、論者によっては「2011年の大地震で日常という基盤が揺るがされたことへの思慕」などを挙げていたりもしますが、個人的には「セカイ系の裏返し」といった点に考察の余地はないかなぁと思っています。

 この10年を経て、サブカル扱いの分野も表層化し、クールジャパンとかいって市民権を確立。
 それに伴いビジネス性も高まり、アニメの発表本数の増加や新雑誌の発刊の連続、WEB媒体発展による発表の場が増加。
 セカイ系世代で自意識を育てすぎて、自己の世界を表現せずにいられない創作者気質が溢れはじめて受け皿も大きくならざるを得なかったのかなぁとかいろいろ思いますが。
 そして視聴者・読者は観測者となり、「何も考えずに見られる」ことを長所として挙げるようになりました。

 ともかく情報の洪水のようにコンテンツ数が膨大となった。「労力」というファクターが形成されるまでに、大きな存在となりすぎた。
 だからこそ、単体ごとにカロリーが低い、薄味な作品にしか手がつかなくなっていったのかもしれません。
 求めるものは「癒し」。それだけ人間も疲労困憊しているようです。
 疲れたんですよ、何かを受け取って考えさせられることに。

ちょうどこの2つの過渡期に、2005年小説・2007年コミカライズの「魔王(及び JUVENILE REMIX)」があるのは面白いですね。
「自分の能力で世界を変える」ことで対立する2人に対し、2008年「モダンタイムス」で明かされた結果は「世界は確かに形だけ作り替えたが、真の理想は果たせない」といったところ。

で、あくまで「増えてきた」という私感なので、未来的予測を含むのですが。
 「もしドラ」のブームもあり、最近は学術書など学ぶための媒体を漫画・小説など娯楽性をもたせて落とし込むものも増えました。
 そういったものと、娯楽作品としての創作の垣根が狭まりつつあるとも言えるのかもしれません。

 自己啓発系とする作品は、「伝えたいこと」が明確です。
 名作と呼ばれる作品にはメッセージ性の強い物も多く、その流れを汲むものといえます。なってほしいです。
 作者の思想を直接的に反映させている場合もあり、ファンを指す「信者」という表現が洒落にならない場合もあります。
  そんな属人的な側面ですが、実際の自己啓発系の新書も著者の経験則による例も多いので悪いことではないです。
 ダイレクトにメッセージが来る分、説教臭さは確かにあります。耳が痛くて好きになれない人もいると思います。
 でもこの刺激的な作風が、日常系に浸かって鈍りかけた感性に刺さるのでは。
 番外編ではありますが、「進撃の巨人」のような刺激の強い作品が流行りだした理由も、この予兆だったのかなと。
 疲れたんです、終わりの無い生産性も無い消費に。

 ここでこの系統が特徴的なのが、上でも挙げた「君は既に能力を持っている」と認めている点なんですよね。
 努力であれ才能であれ、キャラクターを認めた上で、道を提示する。
 気持ちは変わるが、キャラクターは一貫したまま。変化させたうえでこれなので人を描く実力は相当高度であるといえます。

 世相は「一億総活躍社会」と言われることもある様に、働き方・働かせ方への関心を高めています。
 高学歴社会で能力だけは持て余しているが、社会になじむ、活かす努力が難しい。
 そんな人間が増えつつあるからこそ、こういった形態が求められているのかもしれません。
 まぁつまり、娯楽からだろうが展望と活力を得てとりあえず動け働けっていう結構厳しい存在なんですよね。
 感動したーで終わらず、自分に活かせるかが真の信者力の試され所のようです。
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たまに漫画・アニメ評とか。
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