あとがきとの対話 SoulCatcher[s] epilogue

SoulCatcher[s]最終11巻には、4Pにわたるあとがきが収録されております。
 もう序文から「担当」じゃなくて「キム」になってる辺り、この2人だからこその作品なんだなと感じられます。

「だれも聞きたくないでしょ」と、おそらく人気投票でも神海英雄票を無効票としてランクインさせていないと思われる作者としての一線や信条の先生。
ですが、こちとら作者の人格も込みで信用して応援してるんですよ、聞きたくないわけないじゃないですか。
そして、「本当に話したいこと」を伏せている口ぶりなわりには、思った以上にこっちの聞きたかった話がバンバン出てくる始末。

本当に没入できる作品と言うのは、「これは自分のために描かれているんじゃないか」とすら思えるような、需要と供給の一致。
ずっとそんな気持ちで読んできたから、あとがきすら自分に語りかけられているように思えてしまうのです。

そんな傲慢な一読者が、全レスした記録をここに残します。
 引用、すなわちネタバレも多分に含みますので「まだ読んでいない人」「外の語りに触れる気のない人」はご自衛下さい。
 あと自分語りも多分に含まれますがお許しください。


・誤解をされる覚悟と、誤解を楽しむこと
 常々、SoulCatcher[s]について「作者の伝えたいことがまっすぐ伝わってくる」ことを評価点として熱弁してきました。
  しかしそれもあくまで一読者である私の解釈であり、錯覚や曲解もあった可能性は否めません。
 伝え方はどうあれ、作家というのは伝えたいことありきから始まる職業だと思うのですよ。
  だからこそ、それが正しく伝わっているかというのは気にする点だと思ってきました。
 そこに生じるすれちがいに対し、許容どころか、楽しもうとする。精神強いなというか、その発想に脱帽です。
 さながらやったことは公園に遊具を並べる所まで、そこでどんな遊び方をしてもいいと言っているような。

 もう一つ着目したいのが、「考察」という言葉も持ち出している所。
 咲良登場前後までの伏せられた情報が多かった序盤は、限られた情報を伏線として読み解こうとする予想屋が多くいました。
 自分も似たような事をクダを巻くようにくっちゃべったり、川和の言葉を真に受けて舞の共感覚疑惑を引きずり出したりしていました。ぶっちゃけあの予想、根拠の大半が「視線」という至極恣意的な結論の出し方だったんですけどね。
 ともあれ、そういった楽しみ方をしている層の存在を認識している表現ですよね。
 感想見てる疑惑からすると、先の展開を当てられて、予想を超えるために歪めたとかそういうことが起こっていないかは心配なんですよね。
 「後出しにしない言質」という個人的な都合でネット上に感想や予想を公開していたわけですが、読者間でガヤるためのもので制作サイドに影響を与えたくはないっていうのはずっと懸念していました。傲慢な言いぐさですが。
 そんな後ろめたさすら肯定してもらえているようで、ずっと続けてきたこれらへの救いを感じました。
 えもすれば心を折りに行きかねない黒条の断片たる我々も、全て受け止め糧にする。英雄恐ろしい子。
 



・サブタイトル楽曲、ならびにソルキチプレイリスト
 あくる日のツイートで原理主義者してたところを嗜められたようで恥ずかしさを感じた一件。
  弁明すると、クダをまいてた時点で唯一0票で、本当に孤独感感じてただけなんです・・・
  煩い奴がいるから同情票を入れて下さった方も居るでしょう、その節は失礼いたしました。

 インデックスに載せてる参考楽曲のように、本作のサブタイトルには同名の楽曲が存在するものがいくつか存在します。
  一度「夢と勇気、憧れ、希望」の順番を間違っていたことを訂正したぐらいだから、意識していたのは語られずとも確か。
 しかし、字面のみを元にしており歌詞は考慮してはいないと馬鹿いっちゃいけねぇよ状態なわけです。
 むしろ歌詞見ずにあれだけストーリーと解釈の合う歌を引っ張ってきたってことの方が全盛期の神海英雄伝説案件ですよ
 無論どうとでもつけられるこじつけに過ぎないし、解釈も一定ではないので押し付ける気はないのですが。

 ここから生まれた、というか自ら揃えたソルキチプレイリストは、度々話題にもしていました。
 洋楽は殆ど関心が無く、久しくJ-POPからも離れていた私は、実のところ「ただ吹奏楽経験があるだけで音楽全体への関心は今一つ」でした。
 パーソナルな話をすると、吹奏楽部選択の経緯もさほど積極的でないし、打楽器選択理由も当時の神峰と大差なかったです。
そんな自分にとって、毎度のようにカラオケで練習したり編曲してメドレー作成に挑戦してみたりするようになったこれらは、この作品から得られた貴重な財産の一つです。狂信紛いであろうとここへの感謝は譲れません。
 ちょっと関心が向くと、他のラジオで聞こえてきたアーティストにも興味を持てるようになったように思います。

閑話として、神海先生の懸念する解釈違いいわゆる事故について。
 これは作中の”RPG””アイデンティティ”にわざわざアーティスト名追加の修正をしたあたり思うところがあったのかと。
 確定的なのは作中曲としても触れている”青春の輝き”と”Believe”だけですからね。

 予想として、「気付かなかった楽曲」に近いのは”3/4”かなと。
 自分自身これは金賞枠4に対し代表枠3の、「ダメ金」についてのタイトルだなと思っていました。
 試しに調べたら、Ghoose houseの楽曲が見つかったという。
 これはこれで、夏を中心とした一年の話だったり聖月と晴海の関係性を彷彿としたりいい曲なので無関係でも是非。

 Op.42 桜 のように表記揺れ含め多くの楽曲があるタイトルも。一般名詞だからこれは仕方ない。
 うちでは仮にコブクロのものを挙げていますが、それぞれが別の曲を想っていいと思います。桜も虹の音。
 キャラソンにあった”分水嶺”なんかも一般名詞なので、そんなところまで目くじらはたてません。
 ”闘う者達” ”春の歌”あたりは怪しいですが、他の曲名ぐらいしか使われない言い回しのタイトルは言い訳させんぞ・・・



・普通の高校生の話
 超能力じみた描写も多く、ネタマンガ扱いをする層もあった本作。
 実際、全国大会で「次元が違う≒特別」ともいえる描写もありました。話が進むにつれ神峰も悟りを開きました。
 それでも、あくまでこう言い切ってくださったことは救いの一つ。
 どんな特殊な描き方をしても、描かれているものは「共感」しうる普通のお話なのです。

 SoulCatcher[s]で取り上げられたテーマの多くは、SFチックなソリッドシチュエーションではなく、だれにでも起こり得る悩みなんですよね。
 以前のソルキチ入門でも「人との関わり方」が根幹と表現しましたが、神海先生自身もそのつもりで描かれていたようで、「対黒条以外は例外なく団体として描いた」と仰っています。
 自分がこの作品に入れ込んでいたのは正にここが一因でした。
 私は好きなものは自分が好きであればいいだけで、基本的にそんなに押し付けようという気持ちを持ちません。
  つまり無干渉主義なんでしょうね。ただのコミュ障なのは反省します。
 そんな私がこの作品と出会ったのは大学時代終盤のある種「大人と子供の境界線」の時期でした。
 過ぎてきた道だからこそこの作品が語りかける厳しさも難しさも、優しさも伝わってくる。
 それは少年時代から自分が本当に欲しかったであろう言葉の数々だったから。
 だからこそ、「俺は好きだ」だけで終わらせたくなかった。色んな人に読まれる場所に居て欲しかった。
 これを求めている、「向けられている俺」はきっと他にもいるだろうから。
 微力ながらもこの作品に向けてしてきた何かは、それだけが全てでした。



・見えたり見えない素晴らしい事、見た事も無いような事態
 増刊誌での移籍連載という、過去には武装錬金ぐらいにしか例のない事態。
 それすらもいくつか例のある「エピローグ」の一種であり、終章ですらない継続連載は異例中の異例。
 その上で、次は兄弟誌に移り週刊連載を再開。
 廃刊などによる移籍は他社でも数あれど、媒体が存続しつつ2度も移籍した作品は他にあるのでしょうか?

 「たらい回し」と批判的な目で見られることもありましたが、先生自身が感謝してるんだから野暮は無しです。
 読者としてもどんな形であれ、完走と言い切れるところまで先生が描ききれた事が半端な存続より大きな喜びです。
 ゼビアや春よ来いなど、あのページ数で中断なく一気に描ける環境だったからこその感動もありました。
 全国大会のように、週刊で毎週少しずつ想いが語られるからこその感慨もありました。
 ずっと、描ききってもらうことそれだけが望みだった。悪かったことなんてきっと無かった。

 見えないことが何だったのか、いつか見えるものもあればいいなと思いつつ。
 今心配なのは、これでツイッターアカウント持ちで連載終了した作品の1例目とも言えるんですね。
 ナルトは終了後も継続展開ありますし、暗殺教室も遠からず収束するでしょうが、キムさんのIT的成長を見守ってきたあのアカウントはこれからどうなるのか・・・。前例が無くまた予想がつかない。



・神峰と刻阪が歓喜に至る物語
 神峰を通して描写しないと情景描写ができない構造上、W主人公といえど神峰と刻阪の存在感比率は圧倒的に神峰でした。
 打樋の件はじめから刻阪の助力を抑えたがために、印籠になる機会もあまりなかった刻阪氏。
 口喧嘩と言いつつ、姉に指摘されるまではほぼ見守る肯定者でしかなかった刻阪氏。
 それでも神峰の価値観は大半が刻阪の教えによるもので、確かな行間での対話相手でした。
 ラストシーンでの神峰の笑顔をはじめとした変化から神峰の話である印象は大きいです。
 それでも、同じ「藁にもすがる者」から始まり「未来のヴィジョンの片鱗」を得た刻阪もまた歓喜を掴んだ者なんですよね。
 独りでは決して見ることのできない景色、でも独りではないのなら――― うーん、ハイキューポエミィ。

 神峰が神海先生自身に似ている、というのはこのあとがきの文章だけでもひしひしと伝わっています。
 相手の心を汲み最大限の配慮をしながらも、解釈の余地を覚悟し許容する姿勢、まさに神峰です。
 では、神海先生の刻阪らしさって何でしょうとした時に、「相手を尊重する姿勢」は2人に共通したんだなと気づきました。
 刻阪も、否定的な意見を言ったのって黒条とモコ暴走を除けば、弦野(自分勝手な音楽)ぐらいなんですよね。
 


・神峰の家庭環境
 いかにもポロッともれたような、唯一ともいえる苦言。
 この説の根拠は主に①父の現状不明②メシありがてェ発言の2点に尽きます。
 ちょっとした言葉尻から引きずり出すように滲みださせた説ではあったのですが。
 勉強部屋は普通でしたし否定材料もあるのですが、あえてここで否定した一点なのは気になる所。
 歓喜に至る幸福な物語であるために、淀みの種をのこさない最後の優しさだったのかもしれません。

 というか、お便りなのかもしれませんがほぼネットで流布している話を把握しているという証明。
 その辺の想いは黒条の所で。



・神峰の本当の理解者
 神峰は大変なものを盗んでいきました、貴方の理解です。
 読み続けてきたこと、そのものへの承認。
 数多の読者が頼りなくも信じながら、ある種の保護者視点で神峰を見守ってきたことへの報いといいますか。
 そんなこと言われたら、もう娘を嫁に出す結婚式の父親みたいになっちゃいますよね。



・描かないと決めていた事
 専門分野のハウツーものといった視点から「吹奏楽漫画」としてのソルキャを見ると、他の作品とは抽出要素が違うのは確かです。
 直近の例として「響け!ユーフォニアム」を挙げると、陰湿な空気も描くわオーディションするわで、ある意味真逆の「吹奏楽のリアル」に向き合った作品と言えます。それを乗り越えた上でのカタルシスが本題でしょうから、手法自体は否定されるものではありません。

 ハウツーものでは主人公に初心者を置いて、序盤に技術・科学的な内容から説明してくことも多々あります。
  他の吹奏楽作品では奏者に主人公を置くことも多く、読者も入部の擬似体験に誘うような手法ですね。
 本作ではそもそも「学生指揮者」というイレギュラーに主人公を置き、各楽器ともども役割説明に留めています。
  シーンの一幕に絵で片鱗だけみせたりはしていました。うちのブログの初期のネタのタネですね。

 このあたりをぶっとばしているのがある意味「共通認識のある人向け」のようになる要素となりうるのかもしれませんが、「吹奏楽わからないけどソルキャは面白い」みたいなスタンスでもついていけるパワーになり得たのかもしれません。
 テーマは吹奏楽ならではというよりももっと個々人の精神性に寄り添うものであったがために、内輪受けになりすぎず音楽を舞台としたあくまで「普通の」お話だったように思えます。



・「争」わせず 「競」わせる
 ネタとして吹「争」楽と揶揄され続けてきた本作。しかし争っていた事なんて無かった。
  この表現を見て、何を受け止めてどこに惹かれたのかがはっきりしたような気がしました。
 一度「カードゲーム作りたい」とか喚いたこともありますが、その時の設計思想も「減点法で争わずに加点法で比べ合いたい」といったイメージを抱いたあたり、同じ景色の片鱗を共有できていたのかもしれません。
 最終的に恍惚としてるんで、俗称は「酔」奏楽あたりのほうが合ってたり?



・黒条善人について
 前述のとおり、感想を好き勝手書かせて頂きつつも、一番怖かったのは「作者本人に影響を与える事」。
 黒条初登場時に最大の黒歴史を記しているのですが、自分は神海先生の描きたいものを読みたかっただけなので、本当は要求や意見紛いのことはしたくなかった。
 あれも「自分を曲げるのは勘弁してくれ」であって、そもそも悪意を一手に請け負わせる存在としてのデザインならば歪みも媚びも無く彼が全てなんですよね。
 どうしても似通って見えたのは、シアンもきっと同じ設定思想だったからなのでしょう。
 ストレスの種を一手に担わせて、他のキャラ同士の話を明るい存在にするのが神海メソッドなんですね。
 そういう意味では、あれで我々も掌の上だったのでしょう。それこそ神峰を見た黒条のように。

 黒条に関して、「どこにでもいる」「残念ながら存在する」「皆様の中の」悪人としています。
 奴に向かう感情は、濃縮還元された同族嫌悪とも言えるのかもしれません。
 それを「ありふれた」と言ってのける、悪意すらも普通のことと受け止める。先生ほんと悟っちゃったの?



・読む人の気持ちに寄り添って印象を変えていく漫画
 何度読んでも、その時の気持ちによって感想が変わり得る。
 そしてどんな印象をもっても良い。本編の結論「虹の音」のように。
 Op.88で至った「虹の音」というゴールのために11巻87話言葉を尽くしてきたわけですが、これまでの文中でも何度も触れてきたように、好きなものや自分らしさ、誤解や悪意の存在まで「全てを許容する」という神海先生自身の境地。これが全てだったんですよね。

 はじめ神峰は、能力に対しても「目を潰してくれ」、人とは「関わらない」と、自分自身の全てを否定していました。
 認められるための道程で、桜の音という「共有」から見える景色を知りました。
 そして、恐怖も、過去も、感じ方すら否定しない境地へ至りました。
 同じものをみれるといい。同じ想いは抱かなくてもいい。

 伝えたかったことはきっと伝わった。でもそれは答えを与えることじゃなく、それぞれの心に何かを生み出す。それだけ。




「イヤな気持ち」「寄り添う」など作中に出てきた言葉も散見されたあとがきでした。
やはり打算的な計算ではない、素の言葉が軸となった作品なんだなぁと改めて思うこともしばしば。

ここまで長く、内容も無い長文にお付き合いくださりありがとうございました。何分かかりました?
色々言葉は並べたてましたが、結局は伊調がブラボーと言いファンタスティックと言ったものを引き回しただけです。

読者はいくら神峰の理解者になれても、傍観者でしかあれません。
神峰に対して何もできないままです。SoulCatcher[s]に対して応援しかできないままです。
じゃあ最後まで見守った僕らのすべきことはなんだろうか。
受け取ったものを、返せずとも、また別のどこかへ繋ぐことなのかもしれません。

 さぁ、やろうか。 次は自分の人生《おんがく》を。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

戸付湯歌

Author:戸付湯歌
たかが知れている。

思いつきはツイッター経由。
 思考の嗜好であり、試行の歯垢に過ぎない。

主に遊戯王のカードやデッキの考察、自分専用まとめwiki。
たまに漫画・アニメ評とか。
神海英雄先生のソウルキャッチャーズは永遠の魂です。

主要記事
遊戯王 過去の妄言
ご当地大戦 布教用考察
SoulCatcher[s]章別感想

最新記事
カテゴリ
履歴
マーケティング
TL
検索フォーム
最新コメント
QRコード
QR
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ